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仙台高等裁判所 昭和41年(ネ)120号 判決 1966年9月14日

控訴人 岸輝夫

右訴訟代理人弁護士 鳥海一男

被控訴人 渡部栄一

右訴訟代理人弁護士 平田半

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は、請求原因として、

一、控訴人は、東京及び北海道穀物取引所、東京ゴム取引所、東京繊維商品取引所の仲買人たる訴外東京共栄商事株式会社(以下単に訴外会社という)のもと会津若松営業所長であった。

二、被控訴人は昭和三八年一〇月頃から右訴外会社と小豆の先物取引を開始し、昭和三九年二月二三日当時において同会社に対し金三六五万五、二〇〇円の預け金を有していた。

ところが、その頃小豆の相場が次第に下落しつつあったので、被控訴人は訴外会社の会津若松営業所長であった控訴人に対し、右先物取引関係の手仕舞を申し出で、右預け金の三六五万五、二〇〇円を三六〇万円に清算の上、この金額を直ちに返還してくれるように要求した。

三、この要求を受けた控訴人は、「今に三月末か四月上旬になれば小豆の相場が騰貴するから儲けさせてやる。元金三六〇万円に最低一〇〇万円を併せて支払うから口を出すな。自分の責任で取引し、預り金の三六〇万円は昭和三九年六月以内に返済するから委せよ。」と言ったので被控訴人はこれを承諾し、従来継続して来た訴外会社との取引を止め、同会社より一且金三六〇万円の預り金の返還を受け、更にこれを控訴人個人に対し、その間の現金の授受行為は省略して、占有の改定並に簡易の引渡の方法で引渡し、以って預け金となし、昭和三九年三月九日控訴人との間でこの金額を同年六月中に返還をうける旨の契約を締結した。

四、然るに、控訴人は昭和三九年五月六日右金額の内、金一五〇万円の支払をした丈でその余の返還をしないので、その残額金二一〇万円及びこれに対する昭和三九年七月一日以降その支払済に至るまで年五分の割合による法定遅延損害金の支払を求める。

五、仮に、訴外会社との右取引の当事者(従って控訴人個人に対する預け金契約の当事者)が被控訴人ではなくてその妻渡部スイ子であったとしても、昭和三九年五月六日渡部スイ子、控訴人、被控訴人との間で、右渡部スイ子が控訴人に対して有していた金三六〇万円の前記預り金返還債権につきその債権者を被控訴人とする旨の債権者の交替による更改契約が成立した。

そして、現に、控訴人は同日被控訴人に対し右三六〇万円の内、金一五〇万円を現金で支払い、残額二一〇万円についても同日控訴人の父岸貞次名義を用いて被控訴人に宛て金額二一〇万円、支払期日昭和三九年六月三〇日、支払地会津高田町、支払場所東邦銀行会津支店、振出地同所なる約束手形一通を振出交付しているのである。(なお、この手形金は遂に支払われなかった。)

よって、控訴人に対し、金二一〇万円とこれに対する昭和三九年七月一日以降その支払済に至るまで年五分の割合による法定遅延損害金の支払を求める、

と述べ、控訴人の抗弁事実を全部否認した。

控訴代理人は、請求原因に対する答弁として、

一、請求原因一、の事実は認めるけれども、その余の二、乃至五、の事実は全部否認する。

なお、訴外会社がその主張の当時渡部スイ子と小豆の先物清算取引をしたことはあるが、被控訴人とそのような取引をしたことはない。

また、昭和三九年五月六日渡部スイ子に金一五〇万円が交付されたことはあるけれども、これは同年四月一七日同人と訴外会社の先物清算取引が手仕舞されたことによりその清算金として同会社より金一〇〇余万円、その外に渡部スイ子が、控訴人に昭和三九年五月六日を弁済期とする同女の訴外大東相互銀行高田支店に対する金一五〇万円の債務を弁済するため同金額に達するまでの金員の融通を依頼したことにより控訴人からの融通金として金四〇余万円を併せて一五〇万円として同女に交付されたものであって、被控訴人の主張するように預り金の内金として返還されたものではない。

二、仮に、控訴人が昭和三九年三月九日被控訴人(若くは渡部スイ子)に対し金三六〇万円の返還を約したとしても、預り金即ち寄託契約は要物契約であるから、その契約が有効に成立するためには控訴人個人に対して現実に金員の交付がなされていることを必要とするところ、この金員授受の事実は全くないのであるから、本訴請求は失当である、

と述べ、抗弁として、

仮に、控訴人が昭和三九年三月九日被控訴人(若くは渡部スイ子)に対し金三六〇万円の返還を約したことがあり、単にそれ丈の事実で控訴人に右金員支払の義務が生ずるとしても、

(イ)  この約定は、被控訴人の代理人(若くは契約当事者本人)である渡部スイ子が訴外会社との前記先物清算取引中、小豆の相場が下落して来たところからそれを憂慮し、同社会津若松営業所内で大声にわめき散らし、他の客の迷惑となり、営業もできない状態になったため、一時を糊塗するため止むを得ずしたもので、同女の強迫に因る意思表示である。そこで控訴人は昭和四〇年八月二日の原審第三回口頭弁論期日においてこの意思表示を取消した。

従って、この返還の約定を原因として金員の支払を求めることは理由がない。

(ロ)  仮に然らずとしても、控訴人が金三六〇万円の右返還を約したのは渡部スイ子が昭和三九年六月まで訴外会社との前記取引を継続することを条件としたものである。然るに、同女は控訴人の助言にも拘らず同年四月中旬自らこの取引を手仕舞して右条件の成就を妨げたのであるからこれに因って生ずる不利益は自ら負担すべきものであり、控訴人に右約定金員の支払義務はない。

(ハ)  仮に然らずとしても、右金三六〇万円の返還を約したのは控訴人と訴外渡辺準の両名である。而してこの金員の支払債務は分割債務たるべきものであるから、その残額と主張せられる本訴請求は半額たる金一〇五万円の範囲に限らるべきものである、

と述べた。

本件の証拠関係は、被控訴代理人において、甲第七号証の一、二、同第八号証の一乃至六、同第九号証を提出し、当審における証人渡部スイ子の証言と被控訴本人尋問の結果を援用し、控訴代理人において、当審における証人渡部弘子の証言と控訴本人尋問の結果を援用し、甲第七号証の一、二、同第八号証の一乃至六、同第九号証の各成立を認めると述べたほか、原判決の事実摘示の記載と同一であるからこれを引用する。

理由

一、被控訴人の主位的請求について

この請求は、被控訴人と控訴人との間に金三六〇万円の預け金契約(その性質は請求原因三項の主張により消費寄託契約と解すべきものである。)が成立したことを原因にその預け金(の残額二一〇万円)の返還を求めるものである。

ところで、このような消費寄託契約が有効に成立するためには、民法第六六六条、第五八七条の規定により、その契約の目的物の授受が現実になされることを必要とすること明らかである。

この点について、被控訴人は、同人が昭和三九年二月二三日当時訴外東京共栄商事株式会社に対して有していた金三六〇万円の預け金を一旦同会社から返還を受け、更にこれを占有改定並に簡易の引渡の方法により控訴人に引渡したと主張する。(その引渡の時期は必ずしも明確でないが、請求原因二、三項によれば、昭和三九年二月二三日から同年三月九日までの間を主張するものと理解される。)

そこで、右引渡の有無を判断する訳であるが、そのためにまず、被控訴人が昭和三九年二月二三日当時訴外会社に対し金三六〇万円の預り金債権を有していたか否か、更にはそもそもその当時被控訴人が訴外会社との間にこのような預り金債権を有するに至るような何等かの取引関係を有していたか否かの点について検討を加えなければならない。蓋し、被控訴人と訴外会社との間に当時何等の取引関係もなく、従って金三六〇万円の預り金債権も存在しないとするならば、被控訴人の主張に従う限り、同人が一旦この金額の返還を受けて、更にこれを控訴人に引渡すということは当然あり得ないこととなるからである。

よって証拠を見るに、原審及び当審証人渡部スイ子、原審証人今田吉三郎の各証言と原審及び当審における被控訴本人の供述には、被控訴人がその妻渡部スイ子を代理人又は使者として昭和三八年一〇月頃から昭和三九年二月頃まで訴外会社との間で小豆その他の先物清算取引をしていたというところがあるけれども、原審証人渡辺準、原審及び当審証人渡部弘子の各証言とこれ等の証言によって成立を認め得る乙第一号証、同第二号証の一乃至一〇、同第三号証の一乃至五、同第四号証、原審及び当審における控訴本人の供述によれば、昭和三八年一〇月頃から訴外会社と右取引に当っていた渡部スイ子は取引当事者本人としてこれに当っていたものであって、被控訴人の使者乃至は代理人というものではなかったこと、その頃被控訴人が訴外会社と取引をしたことは無かったことが認められるのであるから、これ等の証拠に照して措信し難い。

なお、この取引の当事者に関する被控訴人の供述(原審)を検討して見ると、「その取引を始めたのはいつ頃ですか―記憶していません。」「取引を手仕舞する気になったのはいつ頃ですか―記憶していません。」「あなたが現物を引取ることにしたのはいつ頃ですか―記憶していません。」という有様で、当該取引の時から幾許の時日も経過していない時期の供述でありながら、取引の当事者本人であるならば当然知悉しておるべき重要な事項についてさえ右のような曖昧な供述しかしていないのであるから、この点に照しても同人の供述は容易に措信し難いのである。

また、甲第六号証には受取人欄に被控訴人の氏名が記載されているけれども、これは岸貞二の振出名義に係る約束手形であって、その文面上、被控訴人が昭和三九年二月二三日当時訴外会社と何等かの取引関係を有していたとの事実を窺知するに足るところはない。

他に、被控訴人が昭和三九年二月二三日当時までに訴外会社との間で何等かの取引関係を有していたこと、従って同会社に対して金三六〇万円の預り金債権を有していたとの事実を認めるに足る証拠はない。

そうすれば、前記のとおり、被控訴人が訴外会社より一旦この預り金の返還をうけ更にこれを控訴人に引渡すということはあり得ない筈のもので、この点を証明すべき証拠が無いことに帰着するのであるから、被控訴人の主位的請求はその余の点について判断を進めるまでもなく理由がない。

二、被控訴人の予備的請求について

この請求は、渡部スイ子と控訴人との間に金三六〇万円の預け金契約(その性質は主位的請求の場合と同じ。)が成立したことを前提として、その後債権者の交替による更改契約がなされたことを理由に、その預け金(の残額金二一〇万円)の返還を求めるものである。

従って、この請求の当否についても、渡部スイ子と控訴人との間にその契約の目的物が被控訴人の言うように現実に授受されているか否かの点について判断がなされなければならないことは主位的請求の場合と同様である。

この点について、被控訴人は、渡部スイ子が昭和三九年二月二三日当時訴外会社に対して有していた金三六〇万円の預け金を、一旦同会社から返還を受け、更にこれを占有の改定並に簡易の引渡の方法により控訴人に引渡したと主張する。(その引渡の時期は主位的請求におけるのと同様である。)よって按ずるに、

請求原因一、の事実は当事者間に争いがなく、渡部スイ子が昭和三八年一〇月頃から訴外会社との間で小豆の先物清算取引を開始したことは控訴人の自認するところである。

而して、(イ)証人渡部スイ子は原審及び当審において、「昭和三九年二月のいつだったか忘れましたが、訴外会社との取引は手仕舞にして残金は返して貰うことになりました。この残金は控訴人がおれ個人に委せろと言うので同人に預けました。」という旨の証言をしており、(ロ)被控訴本人は原審及び当審において、「金三六〇万円の金は昭和三九年三月九日までに全部控訴人に渡した金です。訴外会社との取引を手仕舞にして現物をとり、控訴人には現物を現金に換算して預けたような訳でも」との旨を述べており、(ハ)成立に争いのない甲第一号証には、昭和三九年三月九日附の控訴人及び渡辺準名義で、「一、金参百六拾万円也御預り致してありますが、右金額は昭和三九年六月以内に最低金参百六拾万円也貴殿に御支払申し上げます。」との記載があり、(ニ)成立に争いのない甲第四号証には昭和三九年五月一日附の控訴人、岸貞次、岸静子の三名々義(但し、岸貞次の名下には押印がない。)で、「昭和三九年五月一日四〇万円本日出来ず申訳ありません。明日約束手形を持参甲し上げます。」との記載があり、(ホ)甲第六号証は被控訴人を受取人とする昭和三九年五月六日附振出の金額二一〇万円の約束手形で、その振出人である岸貞次の氏名は控訴人承諾の下に同人が岸貞次には無断で渡部弘子に記載させて、その名下に控訴人自身の印鑑を押捺したものであることが原審及び当審証人渡部弘子の各証言と原審及び当審における控訴本人の供述によって認められるのであるから、これ等の証拠を見ると控訴人は昭和三九年二月頃から同年三月九日までの間に渡部スイ子から金三六〇万円の金員を現に預っていたかのようであるが、他方、既に成立を認めた乙第二号証の一乃至一〇、同第三号証の一乃至五、同第四号証、成立に争いのない乙第五号証、原審証人渡辺準、原審及び当審証人渡部弘子の各証言と原審及び当審における控訴本人の供述によれば、昭和三八年一〇月中旬から訴外会社との間で小豆その他の先物清算取引を継続していた渡部スイ子はその途中において、昭和三八年一二月二一日に、同月一二日に買った小豆二枚(代金五七万二、八〇〇円)、昭和三九年一月二八日に昭和三八年一二月二六日に買った小豆五枚(代金一五三万二、〇〇〇円)、昭和三九年一月九日に買った小豆五枚(代金一五二万二、〇〇〇円)を夫々現物化したのであるが、当時渡部スイ子と訴外会社との間にはそのほかに約四〇枚(一枚というのは四〇俵)程度の小豆先物取引が継続存在していたため、これ等の現物は倉荷証券として、右二枚の分については昭和三九年一月八日、その余の一〇枚の分については同年二月一日夫々時価の七掛の価額(その価額合計金二四九万四〇〇円をもって他に継続存在していた取引の証拠金代用として訴外会社に差入れられ、同会社からその旨の預り証が渡部スイ子に交付されていること、渡部スイ子はその後も訴外会社と小豆その他の先物清算取引を続けていたのであるが、同年二月下旬から三月上旬にかけ小豆相場が更に一段と下落したことに焦慮し、同年三月九日頃訴外会社会津若松営業所に来てその所長であった控訴人及び所員であった渡辺準に対し、「大変だ。どうしてくれる。」と酒気を帯びて喚き散らしたため、右両名が「六月頃までには相場も立直って騰るだろう。だからそれまで取引を続ければ元金の三六〇万円どころかもっと儲ることになる。」旨を述べて宥めたところ、「それではその旨を書面にせよ。」と要求したので、同女の要求するところに従いその言う儘の文面で甲第一号証が作成されるに至ったこと、ところがその後も同年四月中旬まで小豆の相場は下降の一途を辿ったため渡部スイ子は同月一七日の取引を最終として訴外会社との前記取引を全部手仕舞うことにしたのであるが、その際同会社に差入れられていた前記証拠金代用の小豆一二枚の倉荷証券は代金二九八万三、九一一円、小豆格下分金二万円をもって換金され、その余の預り金二万五、二〇〇円と共に、それまでの同会社との取引による損金一九八万八、一〇〇円との清算に供されることになったこと、右清算を終った残金一〇四万一、〇一一円はその後同年五月六日訴外会社より渡部スイ子に支払われるに至ったのであるが、その頃渡部スイ子は他に弁済をしなければならない債務一五〇万円の支払期日が右五月六日に迫っていたので控訴人に対し同日にはどうしても金一五〇万円が必要であると申し述べ、控訴人もそれまで渡部スイ子と訴外会社との取引の衝に当りさきに甲第一号証の書面も同女に交付していたところから、右一五〇万円と前記清算金残額百余万円との差額四〇万円程度の金員は控訴人において融通することとしていたため、同年五月一日渡部スイ子に対しその要求に従って甲第四号証をその言うままに作成交付したこと、そして同年五月六日渡部スイ子に対し前記清算金の残額とこれに控訴人の融通した金員を合せた合計金一五〇万円の支払がなされたのであるが、その際渡部スイ子は甲第一号証に金三六〇万円以上の金員の支払が約束されていることを理由に喧ましくその余の金員の支払を求め、控訴人は信用できないからその父である岸貞次振出の約束手形を交付せよと要求したので、控訴人は止むなく岸貞次には無断で訴外会社の従業員渡部弘子に渡部スイ子の言う儘その文面を記入させた上、振出人名下に自己の印鑑を押捺して甲第六号証を作成し、これを渡部スイ子に交付するに至ったことが認められるのであるから、前記(イ)(ロ)の証言、供述及び(ハ)の「一、金参百六拾万円也御預り致してあります。」との記載内容はこれ等の証拠に照して措信し難く、その余の(ニ)及び(ホ)の証拠もこれ等をもって被控訴人の主張する預け金引渡の事実を認定することはできないのである。

他に、控訴人が渡部スイ子から金三六〇万円の預け金の引渡を受けているとの事実を認めるに足る証拠はない。

そうすれば、被控訴人の予備的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないこと明らかである。

三、なお、仮に、被控訴人の本訴請求は、被控訴人(予備的に渡部スイ子)と控訴人との間に昭和三九年三月九日金三六〇万円の預り金返還契約が当事者の合意によって成立したことを原因とするもの(講学上のいわゆる諾成的消費寄託契約)であり、この契約に法律上の拘束力を認める余地があるとしても、本件においては控訴人から当該目的物たる預り金の授受がされていないからその返還義務はないとの主張がなされており、その主張のように預り金引渡の事実が認め難いことは前記一、二項に説示のとおりであるから、そのような請求もまた理由がない。

四、以上のとおり、被控訴人の本訴請求はすべて理由がないので、失当として棄却すべきものであり、これと異る原判決は取消を免れない。<以下省略>。

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